2006年07月04日

_ [サッカー]中田ヒデの引退表明メールを読んだ

引退表明メールを読みました。さみしいです。

6月24日の日記にも書いたとおり、日本 vs ブラジル戦の夜、僕はひとりで nakata.net cafe に行って再放送を見ていました。フラフラになるまで孤軍奮闘するヒデを見て熱くなったものです。試合後にぶっ倒れている姿も至極当然、彼にはその権利があると思いました。

その後画面は切り替わり、イタリアでのヒデのスーパープレイを集めた DVD が流されていました。キレキレのペルージャ時代。恐るべき決定力を誇ったローマ時代など。それらの映像をひとりで見つめながら、僕はその日、中田ヒデのお葬式をしている気分になっていました。彼の代表引退は覚悟していましたから。

でもまさか選手そのものを引退するとは思っていなかったので、びっくりしました。

引退表明のメールはとてもよい文でした。あれでヒデの素性を理解してもらえたんじゃないかなと思います。ただ熱心なファンは昔からああいう中身を持っていることを知っていたので、周囲の誤解の目はつらかったですね。もちろん一番辛かったのは本人だろうし、また誤解の大きな原因は不器用な本人の性格にあったのですが。

でも俺、ヒデ好きだったな。素晴らしい選手でした。いまは感謝の気持ちしか出てきません。

_ [サッカー][日常]決断はいつも自らの責任で

中田ヒデの引退表明は大きな反響を呼んでいるが、その中に少なからず彼に翻意を迫るものがある。曰く、J リーグに戻って後進の手本になって…うんぬん、この若さで引退なんて才能の無駄遣いだ…かんぬん、マラドーナなんて何回引退宣言したことやらなんだから君もさあシレッと撤回宣言を…などなど。

理解できる点も中にはあるが、それでも僕はなお思う。我々は、立派な一人の人間が長考の末下した結論を尊重すべきではないだろうか。

ここで興味深い逸話をご紹介する。

himazu blog - Jet Blue 292の機長の行動
http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20050926/1127685611

飛行中の機体に異常を感じた機長が、管制官の「いやそれは問題ないよ」という助言を聞いた上で、自らの責任で機体を不時着させた。

この件についてキャスターは次のように述べたとのこと。

よい機長であるための条件は
自らの責任で決断することである。
周りの人が善意でアドバイスしても、
それらの人は必ずしも
決断の直接の影響を受けるわけではない。
直接の影響を受ける機長が
自らの責任で決断しなければならない。

このコメントは、「よい人生を送るための条件は」という出だしでも文章が成立するように思う。

だから、中田ヒデは、雑音に耳を貸す必要はまったくない。自分自身の意のままに、自らの責任において決断を下し、生きていけばよい。いつだって、自分の魂に正直に生きていけばよいのだ。

そして最後に、僕が敬愛するミュージシャン、真島昌利の言葉を記す。

自由でいるための責任は
いつだって自分自身で背負うべきものだから
僕は強くなりたい。
本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]
鴎@会社 (2006年07月04日 15:17)

北海道にSHINJOという人がおりまして、その人が今シーズン序盤に今季限りでの引退を表明しました。打つ方はさておき(汗)守って投げて走って、といったプレーに関して言えば、まだまだ普通のプレーヤーよりも遥か上だったりします。が、本人曰く「捕れると思った打球に追いつけなくなった。刺せると思った走者を刺せなくなった」とか。本人にしか解らない限界点があるモンだなぁ、と思いました。当初は引退撤回をしてほしい、とも思いましたが、それを聞いてSHINJOの決断を支持したいと思ったモンです。

ボロボロになるまでプレーする美学もあれば、中田やSHINJOの様に魅せられる段階で引退する美学もあると思います。それに関しては、本人以外がとやかく言えるものではないと思います。

って、SHINJOが引退撤回するのでは!?という思いは、まだあったりしますが(笑)

けんご (2006年07月04日 15:25)

うん、たぶん、どこに重きを置くか、という価値観の問題なんだろうね。

SHINJO や中田ヒデの場合、トップレベルで自分が納得がいく、そしてお客さんに見せるに値するプレイが出来るか否か、というのが判断基準なのかもしれない。

反対に、三浦カズや清原みたいに、求めてくれる人がいる限り、そして自分自身がリフレッシュして環境に臨めることに一番の価値を置く人もいるのだろうね。

僕は、どっちの価値観の人も大好きだなあ。要は、筋が通った生き方をしている人を見るのが好きなんだと思う。そして筋は人それぞれであってよいと思います。

なべちやん (2006年07月04日 17:22)

もしヒデが思い直して「やっぱりもう一回チャレンジしてみようと思う」って言ったら,それはそれで本人のケツダンなわけで。

ヒデに対して何の思い入れもないオレが言うのもナンだが,例え周りの意見を受けて翻意したとしても,ヒデが決めたことを受け入れたいね。

ヒデよ,もうやりたいようにやってくれ,オレはファンとしていつでも支持するぜ,と。

あ,ファンじゃなかった…。

けんご (2006年07月04日 22:13)

あー、そうですね。昔の僕なら「引退撤回?なんてかっこ悪い…」と一刀両断でしたが、そういう僕自身が覚悟の松江移住に失敗して戻ってきているので、予期せぬ状況の変化というのはあるのだ、ということを身にしみて理解しました。
なので将来ヒデが真摯に考えた上で引退を撤回したら、それはやはり受け入れるのだと思います。おー、なんか俺、変化があったんだな、中身に。

こりぃ (2006年07月07日 09:52)

いまさら本件にコメント。
ヒデの引退劇については、テニスの伊達公子の例がほとんど一緒といえるでしょう。
伊達公子もかねがね、「テニスだけの人生にするつもりはない。」といいつづけていて、世界ランク4位までいったすぐ後に引退。

伊達さんの場合は、その後もテニスに関する活動(解説やジュニア底上げ等)にたづさわっている点がヒデとは違うかもしれません。

個人的には、ヒデの納得がいっているプレイをもう一度みたい(一度たりとしてあったのだろうか?)けど、決断は納得。

カレは(現役復帰という意味で)翻意することはないと思う。

けんご (2006年07月11日 17:24)

調べたら、ヒデの引退を伊達公子のそれとだぶらせている人はすごく多いですね。あと報道ステーションでヒデ引退を報じた際、松岡修三が真摯なコメントをしていたそうです。最近はファニーな面がフィーチャーされる彼ですが、僕は彼を芯のあるスポーツマンだと思っているので納得です。

ヒデの会心のゲームですか…。本人に言わせれば「ない」かもしれませんね。アマチュアバンドのライブでも似たようなところがありますもんね(笑)。

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