ジョブズはこう語っている。
iPhoneにのっているものは、全て我々が決める。 電話がPCのようになるのは嫌だろう? 3つのアプリを立ち上げていて、電話をかけようとしたときに それが動かなくなるようなことは、一番起きて欲しくないことだ。 こいつはコンピュータというよりは、iPodに近いんだ。
言っていることは筋は通っているし、理解できる。いい意味で制御可能な状態をキープできるわけで、アップルにとってもエンドユーザにとっても利点は大きい。
でも、Palm があれだけ隆盛を誇ったのは、開発環境が公開されていて、かつ多くの私製の(市井の)ソフトウェアがあったからこそなんだよね。
iPhone では、あの Palm のような爆発的な盛り上がりを再現できない、となると、ちょっと残念な気がする。
スポーツ中継に華美な装飾は必要ない、という主旨の話。僕も好きな話だ。
でも、テレビが繰り出す文脈は、 まさに選手が走っている最中に、感動秘話を小出しに挟んで見せている。 この順番のずれが、感動もライブ感も中途半端なものにしてしまっている。 たとえば、長く厳しい坂道を登りきると、そこに大海原が見えるとしよう。 坂を黙々と上っているときから、 「きっと見ると間違いなく感動します」とか 「マイアミの海のように綺麗です」 「もう100万ドルの価値がある風景ですから」 なんてこちょこちょ言われている感じである。 坂道を登るときは、 最後の感動が未知のままで、 黙々と登っていったほうが、胸をうつのだと思うのだ。
決勝の舞台で、盛岡商は、神様から与えられたPKをはずしてしまう。 呆然と点を仰いだ盛岡商のまさにその選手が、 次の瞬間にはその失敗を取り返すゴールを決めてしまう。 その選手を右ウィングにポジション換えした監督が 静かに熱くガッツポーズを取り、 奇跡が起こった盛岡商のスタジアムの応援席が激しくゆれる。 PKがはずれて、神様に救われた、 と喜んだ作陽の選手たちが、今度は呆然と立ち尽くす。 そして、そこからの次の一点を巡る攻防は、実況も解説も必要ない。 ゴン中山が実況中に 「イヤー好きですね、こういうひたむきなプレイ!」 と叫んだが、その本音の叫びだけで十分だ。
うんうん、よくわかる。まったくその通りだと思う。この点の好例を挙げると、やはり NHK や倉敷さんの実況は本当に最高だ。
あと最近僕が感動したのは、全日本フィギュアスケート選手権での浅田真央のフリーの演技。残念ながら中継は見逃したのだが、ダイジェストで見ても演技の素晴らしさがわかった。そしてもっと印象に残ったのは、その充実感を抑えきれずに発露してしまっている浅田真央自身の姿だった。
演技終了時には、初めて(だと思う)見せるガッツポーズ。そして自然にあふれてくる涙。ここまでの浅田真央の道のりを知っているので、見ている僕も泣けて来た。彼女はまたひとつ大きな成長を遂げただろう。
ただ、浅田真央の全日本フィギュアに至るまでのバックグラウンドを知らない場合は、感動の量が少なくなることは大いに考えられる。だからスポーツ中継にはその点を補足する役割を望みたい。それも過剰なものではなく、むしろシンプルなほうが心地よくなるように僕は思う。
全日本フィギュアについてのレポートは、こちらのブログがとても参考になりますのでご紹介します。