「イブラヒモビッチ、卑劣なジプシー」という横断幕が スタディオ・オリンピコの2階席北側に掲げられた。 (略) 「特定の民族を指す意図を持った表現であり、 規律に抵触する中傷であることは明らかである」 と処分理由が発表されている。
僕はこのニュースを読んだとき、「ん?どこがまずかったんだ…?」と、問題点を理解できなかった。
調べたら、ジプシーという言葉がダメらしい。ロマと言うのが適当なんだって。
かつてジプシーとして知られた彼等だが、 ジプシーはエジプト人という誤解から来ていること 及び既に偏見、差別的に使用されているため (このため、 NHK全国学校音楽コンクールで演奏された 「ジプシー」という言葉を含んだ曲が、 差別表現として放送中止になったことがある)、 最近では彼等の自称として ロマ(その単数形のロム)が使用されるようになった。
うーんそうですか。山口百恵の「謝肉祭」が聴きにくくなるね。ていうかジプシー・キングスはどうなのか。
僕が感じているかぎりでは、日本国内ではジプシーという言葉に差別的ニュアンスを込めるケースはほとんどないように思う。だから国内では別に言葉狩りしなくてもいいんじゃないかな、と思った。ただ、国外の人と話すときには気をつけなくてはならないことがあるだろうから、その意味ではあらかじめ表現を移行しておくのはラクではある。
なおイブラヒモビッチはスウェーデン人で、ご両親がバルカン半島出身です。
この手の話題が大好きな私が来ましたよ。でも、今回は自分で語らず、この問題について描かれたエッセイを引用します。 <br>「……(日本のTV番組で)ジプシーの男女が登場する台本を書いた。街角で見事なダンスと歌に感激した日本人青年が「住まいはどこ」とたずねると、「橋の下や駅舎の軒下」と答え、「何丁目何番地なんかじゃなくて、この青空の下の大地の全てが住所なんだ」と誇らしげに付け加える。/この「ジプシー」という単語がタブーであるから書き直せといわれてしまった。/……阪神タイガースを「ジプシー球団」と呼んで抗議されたスポーツ紙があった。これは、見方によっては蔑視が込められているとして理解できる。しかし、「ジプシー・キング」という名のロックバンドの公演を放映しないというところまでいくと、明らかに過剰規制だ。/……ヨーロッパでジプシーやジタンという語をひかえるようになったのは、その言葉に蔑視の歴史が染み付いていたからで、言葉そのものには侮蔑的意味はない。(この民族がインド起源なのをエジプト起源だと誤解した語ではあるが。)……ところが、日本ではジプシーという言葉にそもそも蔑視が込められた歴史がない。……差別の歴史どころか、ジプシーそのものについて充分に知らないところに、言葉だけを問題に排除していくと、残るのは完全なる情報の空白。それを抗議する側が望んでいるとは到底考えられない。/……(台本中の語を)「ロマニ」とし、実はジプシーのことだと説明したとしても、彼らがホームレスだという印象を与える語句は一切駄目だという。そんな規制こそ、定住民は漂流民よりも高級だという拭いがたい差別感に縛られているのではないだろうか。……/排除すべきはジプシーという言葉ではなく、ジプシーに対する偏見と蔑視のはずだ。事なかれ主義的な対応で、表現の可能性や自由の幅を自ら狭めないでほしい。」 <br>(米原万里「ガセネッタ&シモネッタ」文春文庫) <br>全て賛同できる訳ではないけれど、ろくに理解せず、元から蔑視もしていないものをやたらに規制するのは空虚だというのには賛成。 <br>「日本人って差別されてるんでしょ?カワイソー。私はそんな蔑視しないわよ♪」って言われたら腹立つだろうし。
そうだよねえ。 <br>やはりこの件は、欧州基準の表現に合わせる作業である、と考えるのがよいのかもしれないね。 <br>というか、そう思わないと山口百恵の立場がね。あれ、彼女は作詞者ではない…