2007年11月29日

_ [日常]昔の自分に認められる自分でいたい

三島由紀夫 - Wikipedia

三島が大蔵省に勤めていた時、
その文才を買われて
大蔵大臣の国会答弁の原稿を頼まれたことが
何度かあったが、
いずれも簡潔明瞭すぎて、解釈が1通りしかできず、
没にされた
(官僚界の常識として、
 話の内容を幾通りにも解釈できるようにして
 できるだけ言質を取られないようにする、
 というのがある)。

僕もこれと似たような経験を何度もしている。僕はいつもシンプルでいたいがそれを毛嫌いする人がいる。実にやるせない気分になる。

ここで柔軟に対応するのが大人なのかもしれない。ならば僕はずっと子供のままだろう。損することはあると思うが、信条に背いて生きるよりもずっと精神的にはマシなので、それでいい。

かつて近田春夫が言ったことが胸に残っている。原文ママかどうか自信がないけど、こんな感じの発言だった。

俺はね!
16歳のときの自分に嫌だと思われるようなことを
絶対にしたくないの!

ものすごく同感する。そして僕自身を省みたとき、いろいろなことはあったけれど、このセンだけはずっと守ってこれていると思える。そしてこれからもずっとそうありたい。

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