僕は5人家族で育ったが、現在付き合いをしているのは母だけである。残りの3人は僕から見て人間的に信用できない者なので、僕は一切の連絡を絶っている。
母は僕のそんな様子を見るたびにこう言う。あの人たちも根はやさしいのよ…いいところがあるのよ…と。
へえ母さん、そうなんだ。で、それがどうしたの?
本当はいい人、なんて、僕には何の意味もない。無価値だ。やればできる子と同じ。
「本当は」なんて枕詞なしにいい人であるべきだし、「やれば」じゃなくてやる人であるべきだ。そのほうが有意義だもの。周りにとって。自分にとって。
一人ひとりの社員には、 モラルも能力もとても高い方が 沢山おられる。 が、 組織集団となったときに、 一人ひとりが持つ能力の合計値を下げる方向に 向かっているのではないだろうか。
JMM でもおなじみ山崎元氏の発言が紹介されていた。
新卒でソコソコ以上の大企業に入ると 退職を切り出したときに、 転職経験のない上司から 「必ず、転職するほうが不幸になる」 と言われることが多いようなのだが
彼ら上司がこういう呪いの言葉を吐く理由。それは、転職を決めた若者を見ると、彼ら自身が歩んできた転職なしの人生を全否定されるような気分になってしまうから。そしてそんな否定を拒絶したい/受容できない、という心理が彼らに働くからではないか。山崎氏はこう分析していた。
僕も近い経験をしたことがある。僕は昔ある会社に数年勤めたのだが、そこが閉鎖的で保守的で発展性に乏しく思えてきたので退職した。すると送別会の席で、えらい上司が寄ってきて僕の目を見ずにこう言った。「…お前は甘いんだよ」と。
以前、僕はこの上司を怒らせたことがあった。彼はいつも話が支離滅裂な人だったので、ある日の会議中に僕は「あの、申し訳ないのですが、あなたの言っていることはさっきからさっぱり意味がわからないのですが…」という旨のことをおずおずと申し上げた。するとその上司はいきなり激昂して僕を怒鳴りつけたのだった。なんだったっけな。バカヤロウ!!だったかな。第一声はたしか。
うわー、こういう言動をする人が本当にいるんだー。と僕は思った。…なんていまはふざけ半分でこう書いているが、そのときはそれなりに落ち込んだ。
そんなことがあったので、もしかしたら彼はこう思っていたのかもしれない。僕は彼に一度怒鳴られたせいで会社を辞めることにしたのだと。
そんな矮小な理由なわけないじゃんねえ。と僕は思った。この会社にいたら向こう数年僕の時間が潰されると思ったから、僕は辞めたのだ。ただし、彼のような人物の存在がそういう判断の一因だったことはたしかだ。
後日談。数年後にこの上司も会社を辞めたと風の噂に聞いた。理由はなんと、セクハラ不祥事をはたらいたことだったそうだ。僕はこれを聞いて、「ざまあみろですね」と言ったのだが、その場にいた知人数名は凍りついてしまった。ごめんなちゃい。私怨があったもんでつい。
自分を飛躍的に成長させるチャンスなのに、 それが災厄だと思いこんでそこから逃げ出してしまうと、 手を伸ばしさえすれば掴めた、きらめく未来はこぼれて、 四散してしまいます。 逆に、 いますぐ逃げ出さなきゃならない最悪の状況なのに、 そこにとどまって無理に無理を重ねて鬱病になると あなたの未来は、腐って腐臭を放ち始めます。
まず斜めツッコミすると、けんごさんが愛してやまない(ように見える)GoogleとかAppleとかは、「どう見てもいい人」なんでしょうか? それとも「根はいい人だけど今はまだダメな人」?「根はダメな人だけど今はまだいい人」?「どう見てもダメな人」?<br>で、真面目ツッコミすると、私も強くそう思っていた頃があるので気持ちはわからないでもないのですが、いい年した大人相手ならともかく、けんごさんもこれから自分の子供の成長を見守り、またその子供の周りの子供たちとも関わっていく過程において、どの子もきっとみんな「根はいい人」で、その(個々に違った種類であろう)根のよさをどうやって大切にして、どうやって開花させていくか、そのために自分は何ができるのか、というのが常に問われていく気がします。
Google と Apple は僕にとって、<br>差し引きしたらプラスな人<br>って感じですね。<br>愛情もあまり持っていないつもりです。これでも(笑)。<br><br>子どもに関してはおっしゃるとおりだと思います。<br>が、しかし、これは語りだしたらかなり深いテーマですねー。<br>我が家でも毎晩のようにこの手の話をしています。