英語さえできれば世界中のいろんな人と友達になれる と言うのは、幻想だ。 基本的な教養がないとすごく 友達の範囲も会話の範囲も 限定されちゃう。 旅行先で出会う欧米の人間は、 基本的な教養が「共通言語」になっちゃってることが よくあるんだよね。 平安時代の貴族のモテアイテムが 中国の古典だったのに似てるかな? 先日も、オイラの彼女と二人で とある発展途上国をバックパッキングしてたんだけど、 そのとき山奥で夕食のテーブルを共にした アメリカ人の中年夫婦と楽しく盛り上がった。
このあとに紹介されている会話がすごい。事例の半分もわからないので落ち込みます。
そんな僕の話題のタネは、アメリカ人の方とはロック音楽、ヨーロッパの方とはサッカーです。
あとは聖書ネタやクラシック音楽ネタが持てたらいいと思うことはあるが、持てないだろうなあ。
そういえば僕の浪人時代の尊敬すべき英語教師の方が、「culture の訳語として文化が定着したのはよくなかった。教養のほうが適している。」と言っていた。なぜかいまでもよく思い出す。