よしてるさんとこのエントリで、名曲「レニングラード」の存在を久々に思い出し、歌詞を訳してみました。
ビクトルは1944年の春に生まれた。 戦禍に消えた父の顔を見たことはなく 父を持たぬままにレニングラードに育った。 国に尽くすよう学び ウォッカを生であおる。 酔いつぶれ憎しみに溺れる。 ロシアのレニングラードの暮らしはそんな悲しいものだった。 僕は1949年にアメリカで生まれた。 マッカーシー時代の冷戦の子だ。 アメリカは北緯38度線で戦い 社会主義の黄色人をぶっ潰した。 僕らは防空訓練の机の下にいて守られていた。 僕らが勝ったことをビクトルたちが知らされることはなかった。 彼らは何のために戦い続けるのだろう? ビクトルは兵学校に送られたのち サーカスのピエロになった。 ロシアとレニングラードの子どもを楽しませるその仕事は 彼にとって人生最初の喜びとなった。 だがレビットタウンの子どもはシェルターに隠れ それはキューバから危機がなくなるまで続いた。 10月の燃える太陽の中で 僕たちはもう子どもではいられないことを悟った。 僕には戦場に向かった友人もいる。 彼らは何のために戦い続けるのだろう? 僕は幼い娘とともにこの地に降り立ち ビクトルというロシア人と直に触れあった。 彼は娘を笑わせてくれて それから僕らは抱き合った。 互いがどんな人間であるかを理解しあうことができた。 レニングラードに来たことで。
まさに拙訳なのでぜひ原詞に触れてください。he made my daughter laugh というくだりに来ると僕はいつも泣けてしまって仕方ありません。
最後に、僕が愛するビリー・ジョエルの人と成りがよく紹介されていたサイトを見つけたのでご紹介します。
ただいまThe Ultimate CollectionのCD2を引っ張りだしましてよ。外国人も、日本人同士ですら、いろんな戦いの時代を経て、今他愛ないネタで一緒に笑ったりできるのは奇跡的なことだよねー。日々共に楽しむこと。これもささやかな力になっていくのかな。
いい詞だよね、本当に。<br>けんごさんの訳、特に最後の2行がとてもいいなと思った。単に「かけがえのない友達」としないところが。