ある会社に電話したら、対応がしどろもどろだった。どうやら新入社員の方だった様子。まあ数こなしてぐんぐん向上していくことでしょう。
しかしふと思った。携帯電話の普及によって、家庭で電話の取り次ぎスキルを磨くことがなくなってきたんじゃないかと。
これが決定的な能力差に影響するかどうかは、個人差もあるから断定できないけど、どうなんだろね、やっとくにこしたことはないんじゃないかね。
そういう機会がなくなってしまったのは、携帯電話の弊害のひとつとは言ってもよいと思う。
僕はさんざん自分の父親の欠点を記している。しかしよかった点も少しだけある。
その中のひとつが、差別的な思想や発言を一切しなかったこと。
それどころか、人の結婚式で英語の歌を歌ったり(これがスーパーかっこよくって、僕はせんぼうのまなざしを向けていた、いまでも強烈に胸に焼き付いている)、しょっちゅう台湾に行ったり、逆に台湾からの客人を自宅に泊めてもてなしたりと、むしろ国際派的な言動を見せていた。もっとも台湾旅行は売春ツアーだったらしいのだが。
でも、売春ツアーは言語道断だが、人種差別や部落差別のようなふるまいを絶対にしなかったことによって、僕の感性はフラットなままに保たれた。おかげで僕は自分の頭でそうした問題について判断できるようになった。
これは父だけではなく、もちろん母も同じ。差別思想がないという点において、僕は両親や家族に恵まれた。