スポーツ選手なんかが 風邪やインフルエンザで熱があるのに出場してて アナウンサーや解説者がそれを 褒めてたりすることがあるんだけど 「いや、うつるかもしれない他の選手の気持ちはどうよ?」 って気が。
まことおっしゃるとおり。
同スレッドには、「俺がいなけりゃ回らないんだよ」ってのは「私がいる組織は組織として機能不全です」と言ってるのと同じ、というこれまた正確な指摘もあった。プレゼンで「えー」「あー」と言うのは聴衆に向かって「あなたたちはバカですね」と言ってるのと同じ(くらい失礼なマネ)と思え(だから絶対にやるな)、という気構えに通じるものがある。なんか話がずれた。
なおり。冒頭のコメントを読んで僕は、村上龍が『フィジカル・インテンシティ IV』で書いていた話を思い出した。あの貴乃花の優勝決定戦についての話。小泉首相の「感動した!」ってアレ。
怪我をしたら休むべきだ。何ら不名誉ではない。 そして、 怪我を押して出場したプロスポーツ選手を賞賛する風潮は 改められるべきだ。 プロは、 プロにしかない高い技術で賞賛と報酬を得るべきで、 物語を利用してはいけない。
うつ病の患者にとって、 貴乃花の優勝は悪夢のようなものだっただろう。 わたしたちは、休むべきときには、 休まなければいけないのだ。
上述の書『フィジカル・インテンシティ IV』には他にも、強く印象に残った話がある。その中から、ASローマのサッカーと不定形音楽の相似についての話を引用。
不思議なのは、 ほとんど組織がないサッカーなのに、 自由な感じがしないことだ。 常識的に考えると、 秩序がない場合には 自由と混沌があるはずだが、 ローマのサッカーには 不自由な混沌しか感じない。 フリージャズや現代音楽に似ている気がする。 いくつかの優れた例外を除いて、 音階やハーモニーやリズムという定型を度外視した音楽は、 聞いていて閉鎖的な感じがする。 昔、有名なチェロ奏者が、 楽譜上の音符と音符の間には無限の自由がある、 と言ったのを思い出す。
僕がフリージャズや現代音楽やダラダラインプレビゼーション音楽に対して感じていることを、的確にあぶり出してくれた感じ。
なおこのエントリのタイトルはストリートスライダースの歌の歌詞。ハリー必殺のフレーズ。