2009年05月19日

[日常]休むべきときに休まないのは愚かだと非難される世界になるべき

「頑張ってるつもり」で撒き散らす人々 - 新型インフルエンザ、国内初の感染確認 - スラッシュドットジャパン
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=449851&cid=1562919
スポーツ選手なんかが
風邪やインフルエンザで熱があるのに出場してて
アナウンサーや解説者がそれを
褒めてたりすることがあるんだけど
「いや、うつるかもしれない他の選手の気持ちはどうよ?」
って気が。

まことおっしゃるとおり。

同スレッドには、「俺がいなけりゃ回らないんだよ」ってのは「私がいる組織は組織として機能不全です」と言ってるのと同じ、というこれまた正確な指摘もあった。プレゼンで「えー」「あー」と言うのは聴衆に向かって「あなたたちはバカですね」と言ってるのと同じ(くらい失礼なマネ)と思え(だから絶対にやるな)、という気構えに通じるものがある。なんか話がずれた。

なおり。冒頭のコメントを読んで僕は、村上龍が『フィジカル・インテンシティ IV』で書いていた話を思い出した。あの貴乃花の優勝決定戦についての話。小泉首相の「感動した!」ってアレ。

怪我をしたら休むべきだ。何ら不名誉ではない。
そして、
怪我を押して出場したプロスポーツ選手を賞賛する風潮は
改められるべきだ。
プロは、
プロにしかない高い技術で賞賛と報酬を得るべきで、
物語を利用してはいけない。
うつ病の患者にとって、
貴乃花の優勝は悪夢のようなものだっただろう。
わたしたちは、休むべきときには、
休まなければいけないのだ。

関連エントリ

[音楽][バンド]お前の自由は不自由なんだな、とハリーは歌った

上述の書『フィジカル・インテンシティ IV』には他にも、強く印象に残った話がある。その中から、ASローマのサッカーと不定形音楽の相似についての話を引用。

不思議なのは、
ほとんど組織がないサッカーなのに、
自由な感じがしないことだ。
常識的に考えると、
秩序がない場合には
自由と混沌があるはずだが、
ローマのサッカーには
不自由な混沌しか感じない。

フリージャズや現代音楽に似ている気がする。
いくつかの優れた例外を除いて、
音階やハーモニーやリズムという定型を度外視した音楽は、
聞いていて閉鎖的な感じがする。
昔、有名なチェロ奏者が、
楽譜上の音符と音符の間には無限の自由がある、
と言ったのを思い出す。

僕がフリージャズや現代音楽やダラダラインプレビゼーション音楽に対して感じていることを、的確にあぶり出してくれた感じ。

なおこのエントリのタイトルはストリートスライダースの歌の歌詞。ハリー必殺のフレーズ。

[バンド][日常]練習でできないことは本番でもできない

同書からもいっちょ引用。

ペルージャの紅白戦を何度も見たが、
信じられないほど激しいものだった。
紅白戦で怪我したらどうするんだろうと、
他人事ながら心配になったほどだ。
なんであんなに紅白戦が激しいの?と中田に聞くと、
練習でできないことは
試合でもできないですからね、
と彼は答えた。

いいバンドもみんなやっている。はず。本番と同じ熱量での練習を。

さらに上級編として、本番でできないってことは、できないってことだよ、というフレーズもございます。結果オリエンテッド。練習ではできたのに…とか口が裂けても言わない。Just Do It.

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