ソウェト蜂起のヘクター少年の話を読んで胸が痛んだ。享年12歳。
子どもを授かってだんだんわかってきたことは、親が子の身代わりになれるという気持ちは本当にあるのだということ。僕自身もそうで、仮にそういう事態になったならば、躊躇なくそうできる気がする。僕はもう十分幸せを味わったのだから、子の代わりに終わってもいい。それよりも子に生きながらえてもらい、同じような幸せを味わってほしい。そんな感じ。
そして僕がそう思えるのは、僕が現在とても幸せだからなのだと気づく。だから、子どもも生きていけば幸せな人生を手に入れられるのだ、という一種能天気な考えを抱いてしまえるのだと気づく。
そう思えている僕は間違いなく恵まれている。みなさんに支えられて成り立っているこの僕らの幸せへの感謝を、どこにどうやって捧げていけばいいのやら。僕はいつもそのことばかり考えている。
佐々木先生の本に、次のように書かれていた。子どもが成長するということは、親から離れて平気でいられる距離と時間が伸びていくことだと。僕らの子どもの巣立ちは、もうすでに始まった。嬉しい知らせだ。